2020年11月10日 ~ 2020年11月10日

大田支部

11/10 大田支部 製造部会 「当社の常識は一般企業の非常識」

例会

トップ企業に学んで小さな世界企業を目指す

大田支部・製造部会

時代を超え、企業規模を超え、国境を超え、更に、地方再生へ!

    当社の常識は

一般企業の非常識

~これからの日本は中小企業の時代だ!~

 

高瀬拓士氏 ㈱日本コンピュータ開発 会長

略歴:1939年大分県生まれ。1958年日立製作所に入社し、戸塚工場にて大型コンピ    ュータ開発設計に従事。1973年に進工業株式会社へ、経営支援のために工場長として出向。翌74年に同社取締役就任と同時に日立製作所を退社。同社にて米国現地子会社立ち上げなどに従事した後、1987年に株式会社日本コンピュータ開発へ経営支援のため転籍し、取締役兼システム部長に就任。1990年に同社代表取締役社長に就任。2006年6月に代表取締役を退任し、相談役最高顧問として現在に至る

 

1939年に生まれ、1958年に日立に入社した 高瀬拓士氏が、波乱の企業人生で培った経営理念を次世代に伝える 実験企業 が株式会社 日本コンピュ-タ開発です。

 工業高校卒で入社した高瀬氏が配属されたのは、旧帝大出身者で構成される開発設計部門。社内高専電子工学科から研究科への進学で東大工学部への社内留学を経て、大型コンピュ-タの開発設計に従事します。転機は1972年、オイルショック後の不況で経営危機に陥った取引先ベンチャ-企業経営支援へ出向。大企業の開発中枢から倒産危機にある中小企業へという環境変化の中で経営再建に取り組む一方で重度身体障がい者雇用に積極的に取り組み、経営立て直しと障がい者雇用優良工場確立が終わると、社長命令で現地法人設立の為単身渡米、ミネソタ州初の日系製造工場建設、製品開発、高収益企業育てを行いました。帰国後親会社社長就任が予定されていた1987年、日立の孫会社/日本コンピュ-タ開発で病に倒れた初代社長の支援要請で、親会社社長就任を辞して日立退社後15年ぶりに日立グループへ舞い戻り「大企業ぶら下がりを排除、日立の金太郎飴にはならない」を目指して日立本社と交渉し、20年かけて株式すべてを買い取り全株式を社員が所有、新卒採用ばかりで社員を構成する「当社の常識は一般企業の非常識」と公言する無借金独立経営を確立。16年前から地方出身者に限った採用に踏み切り、一人前育成後はUターン、在宅勤務体制つくりに挑戦。昨年よりUターン第一号が岡山で社長に就任しています。


開催日  11月10日 18:30~20:30

リアル会場 大田区立消費者生活センター

       ※大田区役所ならびの公共施設です


ZOOMの場合  https://us02web.zoom.us/j/4529685053

      ※ZOOM参加の場合に主催者が提供するのは「講演と質疑応答」までとなります。

       上記範囲内であっても回線状況によっては不通となる場合があります

       主催者側はマイク持参など設備面での配慮は行いますが、ZOOM参加の場合には、音声や画像が十分に伝えきれない場合があります。


製造部会

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